大学の同期の同窓会に出席した。3年ごとに幹事持ち回りで開いて、今回8回目だった。この年になると、何かと面倒になり、みんなの世話をするのは大変になる。連絡やら会場の設定やら、幹事方々には、本当に御苦労でした。
3年前に会った人が元気で出席していることは嬉しいことだった。今回は「元気で集まってお互いの元気をいただいて帰る。」という趣旨だっただけに、私も元気な姿で参加できたことを嬉しく思った。
一番うれしかったのは、主人と同じ時期に脳こうそくで倒れたというAさんが、歩行が不自由にもかかわらず、参加してしていたことだった。元気でいろんな活動や、趣味を楽しんでいるという報告はできるが、不自由になった姿で会うのは躊躇してしまいがちだ。
いずれ、今の状態が続けられるわけにはいかないが、彼女のようにみんなの中に出ていけるようにしたいと思った。
3年前に会った人が元気で出席していることは嬉しいことだった。今回は「元気で集まってお互いの元気をいただいて帰る。」という趣旨だっただけに、私も元気な姿で参加できたことを嬉しく思った。
一番うれしかったのは、主人と同じ時期に脳こうそくで倒れたというAさんが、歩行が不自由にもかかわらず、参加してしていたことだった。元気でいろんな活動や、趣味を楽しんでいるという報告はできるが、不自由になった姿で会うのは躊躇してしまいがちだ。
いずれ、今の状態が続けられるわけにはいかないが、彼女のようにみんなの中に出ていけるようにしたいと思った。
ホームページを作った頃は、新しいことができたことが嬉しくて、更新もこまめにしていたが、一応できてからはつい億劫になって、ずいぶん開いていない。
先日 主人のミニ同窓会に同伴した。「パソコンを始めたので・・・」という人がいて、私のホームページのことも話していたので、時には更新しておかないといけないと思っている、
先日 主人のミニ同窓会に同伴した。「パソコンを始めたので・・・」という人がいて、私のホームページのことも話していたので、時には更新しておかないといけないと思っている、
先日 神奈川県の金時山に登った。金時山の金時小屋を経営しているのは通称金時娘さん。新田次郎著「剛力伝」に登場する剛力さんの娘さん。聞けば84歳になられるという。
私たちは2時間ほどかけてここへ登ってきたのだが、毎日、この距離を84歳の高齢で登ってこられるという。毎日登って毎日下山されるのかどうかは尋ねなかったが、たとえば一年間に200日登ってこられたとしても、驚異的な回数になる。
お話をしたところによると、22歳から、62年間ここへ仕事として勤められたという。200×62=1240。こんなもんではないだろう。天井にかけられた登山記録には最高の3600回の方の名前の木札が掛っていた。金時娘さんも22歳から始められたのだから、若いころは毎日ここへ登ってこられたことだろう。
足にサポーターをつけておられるのに気づいて、尋ねたら、交通事故で大怪我をされたのだそうだ。皆さんの励ましで、今日まで できていますと言われた。
健康管理に気を配り、気力を維持する努力でここまでできるのだろうと、お掃除をされる姿を見ながら感動し、大事なものを教えられた。
私たちは2時間ほどかけてここへ登ってきたのだが、毎日、この距離を84歳の高齢で登ってこられるという。毎日登って毎日下山されるのかどうかは尋ねなかったが、たとえば一年間に200日登ってこられたとしても、驚異的な回数になる。
お話をしたところによると、22歳から、62年間ここへ仕事として勤められたという。200×62=1240。こんなもんではないだろう。天井にかけられた登山記録には最高の3600回の方の名前の木札が掛っていた。金時娘さんも22歳から始められたのだから、若いころは毎日ここへ登ってこられたことだろう。
足にサポーターをつけておられるのに気づいて、尋ねたら、交通事故で大怪我をされたのだそうだ。皆さんの励ましで、今日まで できていますと言われた。
健康管理に気を配り、気力を維持する努力でここまでできるのだろうと、お掃除をされる姿を見ながら感動し、大事なものを教えられた。
今朝も元気にラジオ体操と集まった人をNさんが写真に撮ってくださった。
はじめは数人だったのが、いつも間にか 今では40人近くなった。どこのどなたかも知らない人がほとんどだが、早朝集まって挨拶をして体操をして帰る。
その日の体調は体操をしてみるとよくわかる。無理をせず続けることが大切で、そう思っている人が毎朝がんばって来る。
ラジオ体操の効用は筋力を作ることではなくて、とっさの行動がスムーズにできることらしい。つい躓きそうになったりした時に、こけないで 体を支えられることができるということを「ためしてがってん」でやっていた。
時におしゃべりをしながら帰る。話題も様々でまた楽しい。
夏休みなって子供たちが地域のお母さんたちの指導でやっているが、夏休みの終わり頃に一週間だけというのは寂しい。ここへ来ればいいんだけれど・・・
はじめは数人だったのが、いつも間にか 今では40人近くなった。どこのどなたかも知らない人がほとんどだが、早朝集まって挨拶をして体操をして帰る。
その日の体調は体操をしてみるとよくわかる。無理をせず続けることが大切で、そう思っている人が毎朝がんばって来る。
ラジオ体操の効用は筋力を作ることではなくて、とっさの行動がスムーズにできることらしい。つい躓きそうになったりした時に、こけないで 体を支えられることができるということを「ためしてがってん」でやっていた。
時におしゃべりをしながら帰る。話題も様々でまた楽しい。
夏休みなって子供たちが地域のお母さんたちの指導でやっているが、夏休みの終わり頃に一週間だけというのは寂しい。ここへ来ればいいんだけれど・・・
半年振りに書いている。もし訪ねてくださった方がいたら、どうしたのだろうと心配をかけては申し訳ないので、元気でいることだけは記しておこう。
パソコンを始めた頃はいろんなことに挑戦するのが面白くて、いろいろと試して楽しんだが、一応できるようになったからは、必要な時以外は開かなくなってしまった。いろんな人との交流を通して、情報の交換の楽しさもあるが、時に迷惑な書き込みがあるとやめようとおもったりする。本当は迷惑な書き込みを毎日チェックしなくてはならないのだが、それもつい面倒になってしまう。
これが本音で、ずいぶんと空白にしてしまった。
毎日欠かさず更新している人や、整ったHPを見るたびに感心する。
まあゆっくり頭の体操のつもりで思いついたとき気まぐれに書いていこう。
パソコンを始めた頃はいろんなことに挑戦するのが面白くて、いろいろと試して楽しんだが、一応できるようになったからは、必要な時以外は開かなくなってしまった。いろんな人との交流を通して、情報の交換の楽しさもあるが、時に迷惑な書き込みがあるとやめようとおもったりする。本当は迷惑な書き込みを毎日チェックしなくてはならないのだが、それもつい面倒になってしまう。
これが本音で、ずいぶんと空白にしてしまった。
毎日欠かさず更新している人や、整ったHPを見るたびに感心する。
まあゆっくり頭の体操のつもりで思いついたとき気まぐれに書いていこう。
テレビでガリ版印刷を守っている人の事が放送されていた。終りのほうをちらっと見ただけだったので詳しいことは分からないが懐かしく当時のことを思い出した。昭和30年代はずっと使っていた。
やすりの上で蝋原紙に鉄筆で書いていく。慣れないと原紙が破れる。間違ってしまうとピンク色の修整液で訂正して書き直す。私はよくマッチで蝋を溶かして修正していた。一枚書くのになん十分もかかる。手もだるくなる。
印刷もローラーにインクを付けてこするのだが、インクの付け方がうまく印刷するポイント。手もインクで汚れた。
年賀状もこれで刷っていた。今も一人だけ原画はガリ版ではないかと思う人がある。
やすりの上で蝋原紙に鉄筆で書いていく。慣れないと原紙が破れる。間違ってしまうとピンク色の修整液で訂正して書き直す。私はよくマッチで蝋を溶かして修正していた。一枚書くのになん十分もかかる。手もだるくなる。
印刷もローラーにインクを付けてこするのだが、インクの付け方がうまく印刷するポイント。手もインクで汚れた。
年賀状もこれで刷っていた。今も一人だけ原画はガリ版ではないかと思う人がある。